「読書」という言い方はやめようじゃないか。

よく、履歴書とかに「趣味:読書」とか書いたりします。
または、「月にどのくらい読書されますか」とかアンケートされたりします。
「読書」は本を読むこととほぼ同義でしょうが、この言い方、果たして適切なんでしょうか?


世の中にはいろんな種類の本があります。
小説、ビジネス書、絵本、お料理レシピ、雑誌、コンピューター書、辞書、地図、マンガ・・・。
どれも立派な「本」です。そのはずなのですが、たとえば、料理が趣味でレシピ本を何冊も買っているような人のことを「読書家」とはいいません。たいてい小説や小難しいビジネス書や学問の本を読む人を「読書家」とか呼びます。「よく読書をします、月に○冊〜」などというと「わぁすごい」となるわけです。しかし、なにをもってして「すごい」なんでしょうか。


本を読むという行為は、「本を読む」ために行うことではありません。
自分が何かをする・知る・感じるために「本を読む」のです。
レシピ本を買った人は、事実としては「レシピ本」という"モノ"を買ったのですが、本質的なところでは「おいしい料理を作るための手順」という"知識"を買ったのです。
もしもこの人が「わぁすごい」と認められるときがあるとすれば、それは誰かに「おいしい料理」を供したときになることでしょう。
ビジネス書をよく読むのならば、本を読んで知った新しいビジネス手法で効果を上げたときにこそ「すごい」と言われるべきです。勉強しようという姿勢だけで褒められるのは中学生までですから。


だからこそ、「読書」なんて言い方はいっそやめてしまったらいいと私は思うのです。
本は「読む」だけではダメです。本は「使う」ものです。自分の心を揺さぶり精神的に充実したいのならば小説を使う、ビジネススキルをアップしたいならビジネス書を、新しいパソコンを使いこなしたいならコンピューター書を、人においしい料理をつくってあげたいのならレシピ本を使う。
もしかしたら、本を読んだそのときには目的を達成できず、本をもとに何度もリトライし、自分の頭で考えていくことで、ようやく目的を達することができることもあるかもしれません。


「読書」という言葉の字義にとらわれて、本を読んだだけで満足し思考停止状態に陥っている人間は、他人に読書量を褒められて「自分は知識も教養もある人間だ」とカン違いしている分だけタチが悪いのです。
本は使わなくてはいけません。使っていない人を褒める理由はありません。自戒も込めて。